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旭川地方裁判所 昭和44年(ワ)62号 判決

原告 大沼昇 外一名

被告 五十嵐虎夫

主文

一、被告は原告らに対し、それぞれ三七五万九、一九五円およびこれに対する昭和四四年二月二一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

四、この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告ら

(一)  被告は原告らに対し、それぞれ五三二万三、〇八〇円およびこれに対する昭和四四年二月二一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

二、被告

(一)  原告らの請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする

との判決。

第二、当事者の主張

(原告らの請求原因)

一、本件診療契約締結に至る経緯

原告昇、同スズ子は、訴外大沼剛(昭和二七年六月一二日生れ)(以下、剛と略称する。)の実父母であるが、昭和四三年七月一七日、外科医である被告に対し、剛の痔ろう手術を委任したところ、被告は、これを承諾し、同日、剛を被告の経営する五十嵐外科医院(以下、被告医院と略称する。)に入院させ、同日午後二時ころ、被告自ら右手術を行なつた。

二、本件診療契約の締結

(一) 剛は、痔ろう治療のため引続き被告医院に入院中のところ、同月二一日夜半から激しい腹痛と吐き気を催したので、原告らは、翌二二日午前三時ころ、被告に対し、剛の右疾病について診療を求めたところ、被告はこれを承諾し、後記のとおり剛を診察・治療した。

(二) 原告らと被告との間において締結した右診療契約は、原告らを要約者、被告を諾約者、剛を第三者とする第三者のためにする契約であり、剛は、右診療を受けたことによつて黙示の受益の意思表示をしたものである(以下、右診療契約を本件診療契約と略称する。)。

三、剛の病状および被告の診療の経過

(一) 被告は、同月二二日、本件診療契約締結後、剛を診察し、同人の前記症状を大腸炎と診断し、絶食させたうえ下剤投与、浣腸等の治療を行なつた。

しかし、剛の腹痛は止まなかつたので、原告らは被告に対し、精密検査および内科医による診察を求めたが、被告はこれに応じることなく、同月二四日ころから懐炉による腹部あん法を始めた。

(二) その後、剛の腹痛は柔ぎ、剛は牛乳を飲用できるようになり、同月三〇日までは、絶食による衰弱も順調に回復に向かつた。

ところが、同日午後七時過ぎ、その日被告医院から一時自宅に帰つていた原告らのもとへ、剛より激しい腹痛が起つた旨の電話連絡があり、同日午後一〇時過ぎころ、原告らが急ぎ被告医院に駆けつけたところ、剛は、指が硬直するほどの激しい腹痛を催していた。

被告は、剛を診察して、食事が早過ぎたかなとつぶやいたのみであつた。

(三) 被告は、同月三一日から再び絶食、浣腸、点滴注射等の治療を開始し、原告らの質問に対し、胃腸炎にまちがいない、自分がなおしてやる旨答えた。

剛は、絶食にもかかわらず腹部が張つてきたので、自ら被告に対し、腹膜炎でないかと尋ねたが、被告は、強い注射のため腸が麻痺しているので回復しにくいと答えた。

(四) 被告は、翌八月一日、剛の耳から採血し、同月二日および三日に内科医の診察を受けさせたのみで、精密検査は一切しなかつた。

(五) 同月五日、剛は朝から激しい腹痛を催したので、原告らは、被告の診察を求めたが、看護婦の返事では、被告は外出中で行先不明とのことであつた。そこで、原告らは、衰弱が甚だしく、重症の剛を放置しておくことができず、やむなく、剛を被告医院から退院させ、ただちに旭川赤十字病院に入院させた。

四、剛の死亡および死因

剛は、同日午後一〇時四四分、旭川赤十字病院において、虫垂炎による穿孔性腹膜炎により死亡した。

五、被告の責任原因

(一) 被告は、

(1)  剛が、昭和四三年七月二一日より嘔吐を伴う腹痛症状を呈したのに対し、大腸炎と診断したが、病名確定について何ら精密検査をなさず、

(2)  原告らが、同月二三日より内科医の往診を要求したのに対し、翌八月二日までこれに応ぜず、

(3)  小康を得ていた剛が、七月三〇日から病状が悪化したのに対し、従前と略同様の治療を施し、病状が回復しないにもかかわらず、なお精密検査をなさず、

(4)  八月四日、原告らに対し、剛の症状が重症であることを認めながら、翌五日これを放置して外出し、しかも看護婦に対しても行先を明らかにしていなかつた。

(二) 剛の死亡は、被告が、右のとおり医師としての善良なる管理者としての注意義務、すなわち、業務の性質上危険防止のため実験上必要とされる最善の注意を用いて診療をなすべき義務に違反し、剛の疾病が虫垂炎およびそれによる穿孔性腹膜炎であることを診断できなかつた被告の診療契約上の債務不履行に基づくものである。

したがつて、被告は、剛の死亡により生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

六、損害

(一) 剛の得べかりし利益の喪失による損害

(1)  剛は、死亡当時満一六年二ケ月の健康な男子であつたから、本件医療過誤によつて死亡しなければ、同年令者の平均余命である五二・七九年(第一一回生命表)は生存し、そのうち四七年間は就労が可能であつた。

(2)  右就労可能期間における剛の得べかりし収入の計算は次のとおりである。

剛は、死亡当時北海道立旭川東高校一年に在学中であつたから、同校を卒業後満二〇才から就職し、少くとも六〇才までの四〇年間は毎月収入を得ることができたものというべきところ、第一八回日本統計年鑑によれば、昭和四一年における全産業常用男子労働者の一人あたりの一ケ月平均給与額は三万八、九〇〇円である。

右年鑑によれば、昭和四一年における勤労者世帯の一世帯あたりの一ケ月間の平均消費支出額は五万三、五九九円、平均世帯人員は四・〇七人であるから、一人あたりの一ケ月間の平均消費支出額は一万三、四〇〇円以下となる。したがつて、剛の生活費は、一ケ月一万八、九〇〇円を越えることはないものというべきである。

しかして、剛の一ケ月間の平均純収入は、三万八、九〇〇円から生活費一万八、九〇〇円を差引いた残額二万円で、年間平均純収入は二四万円となる。

そこで、中間利息の控除につきホフマン式計算法を使用して、四〇年間の純収入総額の満一六才当時の現価を求めると次の算式により四六四万六、一六〇円となる。

240,000円×(22.923-3.564)= 4,646,160円

したがつて、剛は、被告の債務不履行により、得べかりし利益四六四万六、一六〇円を喪失し、同額の損害を蒙つた。

(二) 剛の慰藉料

剛は、健康に恵まれ、学業成績も優秀で、両親の慈愛をうけ、自己の希望と努力により忘望する上級学校に進学して将来も幸せな生活を送りうる身分に恵まれながら、本件医療過誤により塗炭の苦しみの中に死亡し、春秋に富む生命を失つた。

その悲しみと苦痛に対する慰藉料は一〇〇万円が相当である。

(三) 剛の損害賠償請求権の相続

剛は、被告の債務不履行により、前記(一)、(二)の合計五六四万六、一六〇円の損害賠償請求権を取得したところ、剛の死亡により、原告らは各自右損害額の二分の一である二八二万三、〇八〇円の損害賠償請求権を相続により取得した。

(四) 原告らの慰藉料

原告らは、剛に対する被告の診療契約の履行について、特別の利害関係を有するから、原告らも被告に対し、被告の債務不履行により損害を蒙つたときは、その賠償を請求し得るというべきであるところ、原告らは、被告の債務不履行により最愛の子を失い、甚大な精神的損害を蒙つた。

右精神的損害に対する慰藉料は、原告ら各自について、二五〇万円を下らない。

七、結語

よつて、原告らは、被告に対し、それぞれ前記六項(三)、(四)の損害金合計五三二万三、〇八〇円およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和四四年二月二一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(請求原因に対する被告の答弁)

一、請求原因一項の事実を認める。

二、(一) 同二項(一)の事実を認める。

(二) 前項(二)の事実中、剛が黙示の受益の意思表示をしたとの点を除くその余の事実を認める。

三、(一) 同三項(一)の事実中、被告が剛を診察し、腸炎と診断したことおよび原告ら主張の治療をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二) 同項(二)の事実中、剛の病状が原告ら主張のとおり順調に回復に向かつたことおよび原告スズ子が七月三〇日一時帰宅した後再び来院したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三) 同項(三)の事実中、被告が原告ら主張のような治療をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(四) 同項(四)の事実は認める。

(五) 同項(五)の事実中、被告が外出中であつたことおよび剛が被告医院を退院し、旭川赤十字病院に入院したことは認めるが、その余の事実は否認する。

四、同四項の事実は認める。

五、同五項は争う。

六、同六項は全部争う。

(被告の仮定抗弁)

仮に、被告が本件診療契約の履行にあたつて、剛の疾病を虫垂炎およびそれによる穿孔性腹膜炎であると診断できなかつたことが債務不履行に該当するとしても、剛の右病因は、旭川赤十字病院においてさえ、剛の生前発見することができず、その死後、同病院で解剖の結果判明したものであるから、一開業医にすぎない被告が、剛の存命中右病因を適確に診断できなかつたとしても、被告には責に解すべき事由は存在しない。

(抗弁に対する原告らの答弁)

抗弁事実を争う。

第三、証拠〈省略〉

理由

一、本件診療契約について

請求原因一項および二項(一)の事実は当事者間に争いがない。

本件診療契約が、原告らを要約者、剛を第三者とする第三者のためにする契約であることは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、右契約の内容が現代医学の知識、技術を駆使して、可及的速やかに剛の疾病の原因ないし病名を適確に診断したうえ適宜の治療行為という事務処理を目的とする準委任契約であり、剛は被告の診断をうけることにより、第三者のための契約の受益の意思表示を黙示でなしたことが認められる。

二、剛の病状および被告の診療の経過について

成立に争いのない乙第一号証の一ないし三、同第二号証の一、二、原本の存在については争いがなく、その成立については原告スズ子本人尋問の結果によりこれを認める甲第四号証および証人板倉澄の証言ならびに原告昇、同スズ子、被告(第一、二回)各本人尋問の結果を総合すると、本件診療契約締結後、後記認定のとおり剛が被告医院を退院するに至るまでの間の剛の病状および被告の診療の経過についてつぎの事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(一)  被告は、本件診療契約締結後、直ちに剛を診察し、剛の激しい腹痛、吐き気および嘔吐の症状につき、腸炎と診断し、剛を絶食させたうえ、抗生物質クロロマイセチンを投与したほか、剛の体温が三七度六分あつたから下熱剤メチロンを投与し、さらに、浣腸をかける等の治療をしたが、剛の病状はにわかに好転せず、被告は、同月二三日以降二二日とほぼ同様の治療を加えたほか、同月二四日ころから懐炉による腹部温あん法を始めた。

剛は、同月二三日から前記症状に加えて激しい下痢を催し、二三、二四の両日に下痢回数が八回余りにのぼつたほか、二四日には体温が三八度六分まで上昇した。

(二)  その後、剛の前記症状は次第に好転し、同月二六日ころから腹痛も柔らぎ、剛は、二九日にかゆ食、翌三〇日には普通食がとれるようになつた。

(三)  ところが、剛は、同月三〇日午後七時過ぎ、手足の指が硬直する程激しい腹痛を催したが、被告はこれを従来の腸炎の再発と診断し、クロロマイセチンの投与、グレラン、ブスコパン等鎮痛剤の注射等の治療を行なつた。

(四)  被告は、同月三一日以降剛を再び絶食させ、栄養剤を補給しながら、前日同様の治療をし、三一日には更に下熱剤投与、浣腸等の処置を、翌八月一日には、右に加えて、栄養補給の意味で輸血をしたが、剛の病状は全然好転せず、かえつて七月三一日から八月一日にかけて腹痛のほか、下痢、濃黄物の嘔吐、三八度台の高熱の症状を呈し、剛の病状は悪化して衰弱状態が進んだ。

(五)  被告は、八月二日、内科の開業医板倉澄に剛の診察を依頼し同日同医師が診断した結果は、被告のそれとほぼ同様に急性腸炎(大腸および小腸の炎症)であり、同医師は被告に対し、抗生物質ストレプトマイシン、カナマイシン投与、ビタミン剤投与等の治療方法の助言を行つた。

被告は、従来の治療方法のほか、右助言に従つた治療処置もとつたが、剛の前記各症状は改たまらず、剛の衰弱は進む一方であつた。

(六)  原告らは、同月五日、剛が朝から腹痛を訴え、衰弱も進んでいたので、被告の診察を求めたが、被告が不在のため、重症の剛をそのまま放置しておくことができず、剛を被告医院から退院させ、ただちに旭川赤十字病院に入院させた。

三、剛の死亡について、

剛が昭和四三年八月五日午後一〇時四四分旭川赤十字病院において死亡したこと、およびその死因が虫垂炎による穿孔性腹膜炎であることは当事者間に争いがない。

四、被告の不完全履行について

成立に争いのない甲第一号証および証人菱山四郎治、同板倉澄の各証言ならびに前認定の剛の病状の経過に照らし、剛が虫垂炎に罹患した時期は、昭和四三年七月二一日夜半に剛が激しい腹痛および吐き気を催し、原告らが被告に対し、診療を依頼したころであること、ならびに右虫垂炎により穿孔性腹膜炎が生じた時期は、同年七月三〇日午後七時過ぎ、剛が激しい腹痛を催したころと認められ、右認定を妨げるに足りる証拠はない。

したがつて、被告が本件診療契約の締結により、診療すべき債務を負担した剛の疾病は、客観的にみれば、右契約締結当時虫垂炎しかもその初期の状態であり、七月三〇日夜半以降においては、穿孔性腹膜炎を併発していたことが認められる。

(二) 被告は、本件診療契約の締結により、受益の意思表示をした第三者である剛に対し、前認定のように現代医学の知識、技術を駆使して、可及的速やかに剛の疾病の原因ないし病名を適確に診断したうえ、適宜の治療措置をとるべき義務を負担しているにもかかわらず、客観的にみれば、剛の疾病が虫垂炎であり後に至つては、穿孔性腹膜炎であつたにもかかわらず、前認定のように腸炎と診断のうえ、本件診療契約締結時から剛が被告医院を退院するまでの間、腸炎に対する治療措置、すなわち抗生物質による化学療法、浣腸、および懐炉による腹部温あん法等の治療法をとり続けた。

証人菱山四郎治の証言および被告本人尋問の結集(第二回)および経験則によれば、急性の虫垂炎の治療としては、遅滞なく外科手術をすることが最適かつ一般的な治療方法であることが認められ、このことは、右被告本人尋問の結果によつても、被告自身剛の疾病を虫垂炎と診断した場合には外科手術の方法をとる旨述べていることから明らかである。

したがつて、被告が履行した前記給付内容は、剛の疾病に対する治療として客観的にみるかぎり不完全であるといわざるを得ない。

ところで、不完全な履行がなされたというためには、その履行行為が債務の本旨に従わない場合であることを要するが、診療契約のように病的症状の医学的解明と治療行為という事務処理を目的とする債務について、その履行について債務の本旨に従つてなされたか否かを検討する場合、医師である債務者がなした一連の治療措置につき、債権者の方で、そのいずれが債務の本旨に従つた履行であり、いずれが債務の本旨に従わないものであるかを具体的に主張、立証しなければならないとするならば、医療のごとき高度に専門的・技術的な業務を内容とするものだけに容易でないことに鑑み、前認定のように、患者が虫垂炎に罹患したと認められる時期から虫垂炎による穿孔性腹膜炎により死亡する直前まで相当な期間診療にあたつた医師である被告が、単に腸炎としての診療措置しかしなかつたという事実関係のもとにおいては、結果からみて客観的に不完全な治療がなされたと認められる以上、被告のなした前認定の診療内容は債務の本旨に従わない不完全な履行と推認すべきである。

(三) 次に、被告の不完全履行と剛の死亡との間の相当因果関係の有無について検討する。

証人板倉澄、同菱山四郎治の各証言および経験則によれば、急性の虫垂炎につき、適宜の時期に外科手術をすることなく、これを放置した場合、通常、腹膜に穿孔して、穿孔性腹膜炎を生じ、ついには患者は死に至るものであること、一方、適宜の時期に右手術をした場合は、通常、穿孔性腹膜炎に至らないものであることが認められる。

被告の本件診療契約上の債務履行の不完全性は、前認定のとおり、剛の疾病が虫垂炎であることを看過し、そのため適宜の時期に外科手術をすることなく、剛がいまだ虫垂炎の初期状態にあつた診療開始当初から剛が死亡した日の朝まで、腸炎としての治療措置のみをとり続けたことにあるから、被告の不完全履行と剛が虫垂炎による穿孔性腹膜炎によつて死亡したことの間に相当因果関係があると認めるのが相当である。

なお、前認定のとおり、剛は、被告医院を退院後、旭川赤十字病院において死亡しているが、証人菱山四郎治の証言によれば、右病院においては、剛の疾病の原因究明のため、剛に対し開腹手術をする準備として、体力回復措置としての補液をしていた段階で、剛が死亡したことが認められるから、右被告医院退院後の事情によつて、被告の不完全履行と剛の死亡との間の相当因果関係に中断をきたすものではない。

五、被告の帰責事由について

前示のとおり本件診療契約上の履行につき、被告に不完全な履行が認められる以上、債務者の責に帰すべき事由の存否については、債務者側においてその不存在の主張、立証を必要とするものと解する。

そこで、被告主張の帰責事由不存在の抗弁を検討する。

急性の虫垂炎につき、適宜の時期に外科手術をすることなく、これを放置した場合、通常、腹膜に穿孔して穿孔性腹膜炎を生じることは前示のとおりであるから、被告が帰責事由不存在の抗弁によつて免責されるためには、少くとも、剛が虫垂炎の初期状態にあつた被告の診療開始時より、剛に穿孔性腹膜炎が生じた七月三〇日夜半までの間、被告が医師としての善管注意義務を尽したとしても、剛が虫垂炎であることの診断が不可能もしくは著しく困難であつたと認めるに足りる事情を被告において立証することが必要である。

ところで、被告は、剛の疾病が虫垂炎およびそれによる穿孔性腹膜炎であることが旭川赤十字病院においても剛の生前発見されなかつたことを促え、一開業医にすぎない被告が、剛の存命中剛の疾病を適確に診断できなかつたとしても、被告に帰責事由は存在しない旨主張する。

なるほど証人菱山四郎治の証言によれば、剛の死因は、剛の生前旭川赤十字病院で内科医ならびに外科医がそれぞれ同人を診察した時点では判明せず、剛の死後死体を解剖した結果判明したことが認められるけれども、証人板倉澄、同菱山四郎治の各証言によれば、虫垂炎の診断が容易である時期は、通常、初期から中期にかけて、痛みが下腹部、ことに右下腹部に限局し、その部分の腹壁に緊張が生じるころであり、その後、虫垂および腹膜に穿孔が生じるにつれて、診断が困難になるものであることが認められるところ、旭川赤十字病院において、医師が剛を診察した時期は、剛の死亡当日で、穿孔性腹膜炎の末期的状態のときであつたのに対し、被告は剛が虫垂炎の初期状態にあるときから終始同人を診療しているのであるから、旭川赤十字病院において剛の生前、剛の病因が判明しなかつた事実のみを捉えて、被告に帰責事由なしとすることはできない。

以上判断した事実のほか、被告は帰責事由不存在について具体的事実の主張をしていないが、なお証拠関係よりこれを検討することにする。

証人板倉澄、同菱山四郎治の各証言および被告本人尋問の結果(第二回)はよれば、急性の虫垂炎の初期から中期にかけての一般的症状は、最初胃部付近に痛みが生じ、それが時間の経過とともに下腹部ことに右下腹部に限局し、その部分の腹壁に緊張が生じる一方、患者は、当初より吐き気を催し、便秘がちで、体温は三七度台に上昇するものであることが認められるところ、剛の場合、前認定のとおり、被告の診療開始当初の七月二一日夜半から二二日にかけて、激しい腹痛、吐き気、体温の三七度台の発熱があつたほか、原告スズ子本人尋問の結果によれば、二二日朝から被告は剛に浣腸をかけ、さらに下剤を投与したが、ほとんど便通がなかつたことが認められ、前認定のとおり、剛が二三日から激しい下痢を催したのは、被告の度重なる浣腸、下剤投与の結果であると推察するに難くないから、七月二一日夜半から二二日にかけて、虫垂炎を疑わせる症状の存したことが認られる(前認定のとおり、剛はそのころ虫垂炎に罹患したものである。)。

それにもかかわらず、被告が剛を腸炎と診断したものである以上、被告が免責されるためには、医学の専門常識からみて、虫垂炎の診断を不可能もしくは著しく困難ならしめた特別の事情ないしは腸炎と診断するのが虫垂炎と診断するよりもはるかに合理的と認めるに足りる事情がなければならない。

被告本人尋問の結果(第一回)によれば、被告は、剛の場合、虫垂炎の重要な症状としての右下腹部に限局した痛みおよびその部分の腹壁の緊張が存しなかつた旨供述しているが、前認定のとおり剛に虫垂炎としてのその他の一般的症状が存したことに鑑みれば、右供述のみから右下腹部に限局した痛みおよびその部分の腹壁に緊張が存在しなかつたと認めるには十分でなく、その他本件の全証拠を検討しても右被告本人の供述を裏付ける証拠はない。

また、成立に争いのない甲第一号証および被告本人尋問の結果(第一回)によれば、剛の死後、同人を解剖した結果、小骨盤内に虫垂が癒着穿孔していたことが認められるが、右の事実から、剛の場合、体質的に虫垂の位置が異常で、そのため虫垂炎の診断が不可能もしくは著しく困難であつたと認めるには、証明が十分でない。

さらに、剛が虫垂炎に罹患したのは、痔ろう手術後間もなくであつたが、そのことの故に虫垂炎の診断が著しく困難であつたと認めるに足りる証拠もない。

一方、被告が腸炎と診断した理由についてみるに、原告スズ子および被告(第一、二回)各本人尋問の結果によれば、七月二二日の朝、被告が、剛に付き添つていた原告スズ子から、同人が剛にゆで玉子一個とトマトを食べさせたことを聞き、食中毒を疑つたうえ、腸炎と診断するに至つたことが窺われるが、ゆで玉子あるいはトマトが腐敗している等食中毒を疑うに足りる相当な理由が存したことについてはその証拠がなく、なによりも、証人菱山四郎治の証言によれば、腸炎の場合、症状として吐き気のないことが普通であると認められるところ、剛の場合、吐き気が存したことは前認定のとおりである。

その他、本件全証拠を検討しても、医学の専門常識からみて、虫垂炎の診断を不可能もしくは著しく困難ならしめた特別の事情ないしは腸炎と診断するのが虫垂炎と診断するよりもはるかに合理的であつたとする事情は認められない。

したがつて、被告の帰責事由不存在の抗弁は理由がない。

六、損害について

(一)  剛の得べかりし利益の喪失による損害

(1)  剛が昭和二七年六月一二日生れであることは当事者間に争いがなく、その存在、成立および内容が当裁判所に職務上顕著な厚生省作成第一一回生命表によれば、剛の前記死亡当時における同人と同年令者の平均余命は、五二年余であると認められるところ、原告昇本人尋問の結果によれば、剛は、当時高校一年に在学中で、前認定の虫垂炎に罹患する以前は、日常健康であつたことが認められるから、本件医療過誤に遭遇しなかつたなら、なお少くとも五二年余は生存し、満二〇才に達したときから、満六〇才に達するまでの四〇年間は稼働が可能であつたと推認できる。

(2)  ところで、剛は、前認定のとおり、死亡当時一六才で高校一年に在学中であつたから、同人が将来従事したであろう職業および収入を現時点で的確に推認することは、必ずしも容易ではないが、このような場合には、信憑すべき統計資料に基づいて、剛が前認定の稼働可能期間中、通常の男子労働者の平均的な賃金を取得するものとして計算し、その収入を推定するのが合理的である。

しこうして、男子労働者の収入が、年令、学歴、職種、勤続年数、企業規模等諸般の事情により影響を受けるものであることを考えるとき、年令、学歴、職種、勤続年数、企業規模等労働者の収入に影響を与える種々の要因がほぼ類型的かつ網羅的に加味されたうえ、それらが平均化されて現われる全産業常用男子労働者の平均的な賃金を剛が稼働可能全期間を通じて取得するものとして、剛の収入を推定するのが妥当である。

そこで、その成立、存在および内容が当裁判所に職務上顕著な総理府統計局編第一九回日本統計年鑑によるとき、昭和四一年における全産業常用男子労働者が一人あたり平均月間きまつて支給をうける給与額は三万八、九〇〇円であることが認められ、したがつて、その平均年間総収入は四六万六、八〇〇円と算定される。

しかして、本件の場合、原告ら主張のとおり、剛は満二〇才に達したときから満六〇才に達するまでの四〇年間に旦つて、毎年四六万六、八〇〇円の収入を取得するものと推認され、右期間中の同人の生活費は、経験則に照らして収入の五割を超えることはないものと認められるから、ほぼ原告ら主張のとおり、右収入から五割の生活費控除をすると、毎年の年間純益は、二三万三、四〇〇円となる。そこで右金額を基礎とし、年五分の中間利息の控除につき、ホフマン複式(年毎)計算方法を採用して、剛の稼働可能期間中の推定総純益の剛の死亡時における現価を算出すると、次の算式により四五一万八、三九〇円(円未満切り捨て)となる。

233,400円〔年間純益〕×(22.923-3.564)〔ホフマン複式の係数〕= 4,518,390円

したがつて、本件医療過誤により剛が蒙つた得べかりし利益の喪失による損害は、四五一万八、三九〇円と認められる。

(二)  剛の慰藉料

原告昇本人尋問の結果によりその成立を認める甲第三号証および右本人尋問の結果によれば、剛は、学業成績が優秀で、将来は医師になることを志した将来性のある高校生であつたことが認められる。それが、前認定のとおり、本件医療過誤により虫垂炎から穿孔性腹膜炎にまで病状が悪化し、多大の肉体的、精神的苦痛を蒙つたうえ、青春を謳歌しないまま若き生命を失うに至つたことを考えるとき、剛の受けた精神的苦痛は相当なものと推察される。

右事情その他諸般の事情を併せ考慮すれば、その精神的苦痛に対する慰藉料は、原告ら主張のとおり、一〇〇万円と認定するのが相当である。

(三)  剛の損害賠償請求権の相続

成立に争いのない甲第二号証および原告昇本人尋問の結果によれば、原告昇、同スズ子は剛の実父母であり、剛の相続人は右両名のみであることが認められるから、剛の死亡により、原告らは各自前記(一)および(二)の損害計五五一万八、三九〇円の賠償請求権の二分の一を相続により取得したことが認められ、その金額はそれぞれ二七五万九、一九五円となる。

(四)  原告らの慰藉料

原告らは、被告の本件診療契約上の債務不履行により精神的損害を蒙つたものとして、原告ら固有の慰藉料の支払いを求めるので、まず、右慰藉料請求権の存否について検討する。

前認定のとおり、本件診療契約は、原告らを要約者、被告を諾約者、剛を第三者とする第三者のためにする契約であるところ、一般に、第三者のためにする契約においては、諾約者は直接的には第三者に対して右契約上の債務を履行すべき義務を負担するものではあるが、要約者、諾約者間においても、要約者は諾約者に対し、諾約者の右債務を第三者に対して履行するよう求める権利を有し、諾約者は要約者に対し、これに対応する債務を負担するものと解するのが相当である。

しかして、諾約者の第三者に対する債務不履行は、ひいては要約者に対する関係においても債務不履行となるから、要約者が第三者に債務の履行がなされることにつき特別の利益の有するときは、要約者は、諾約者の債務不履行により右利益が害されたことを理由に相当因果関係の範囲内で、第三者と独立別個の損害賠償請求権を取得するものと解するのが相当である。

そこで、これを本件についてみるに、原告らが剛のために被告と本件診療契約を締結するに至つたのは、実父母すなわち親権者としての監護義務の履行というよりは、子の健康の回復を希う親の愛情からであると推察するに難くない。したがつて、原告らは、被告によつて本件診療契約上の債務の履行がなされることについて、肉親として精神面において少からざる利益を有するものというべく、原告昇、同スズ子本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、原告らは、被告の債務不履行により剛が死亡したことによつて深甚な精神的苦痛を蒙つたことが認められる。

ところで、原告らの右精神面上の利益が、前記特別の利益と評価し得るかについては、少くとも、本件のごとく、精神面上の利益が債務不履行の結果としての第三者の死亡という事実によつて害された場合は、不法行為による生命侵害の場合における遺族固有の慰藉料につき規定した民法七一一条の立法精神に照らして、要約者と第三者の間に同条所定の親族関係が認められる限り、要約者の精神面上の利益を特別の利益と解し、それを害されたことによる精神的損害について、慰藉料請求権を認めるのが相当である。

したがつて、原告らは、被告の債務不履行によつて固有の慰藉料請求権を取得したものと認められ、その慰藉料額は、前認定の事情その他諸般の事情を総合考慮すると、原告ら各自につき一〇〇万円と認定するのが相当である。

七、結論

以上判示のとおり、被告は原告ら各自に対し、前記六項(三)の相続分二七五万九、一九五円および同項(四)の慰藉料一〇〇万円の計三七五万九、一九五円の支払いをなすべき債務があり、右債務は本件訴状が被告に送達された日であることが記録上明らかな昭和四四年二月二〇日の経過により遅滞におちいつたものと解されるから、原告ら主張のとおり翌二一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金が支払われるべきである。

よつて、原告らの本訴請求は、主文第一項掲記の限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条但し書、仮執行の宣言につき、同法一九六条を各適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 志水義文 上野茂 横山匡輝)

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